特殊能力も本人にとっては日常であること

エッセイ

私がイラストのご依頼をしているイラストレーターの友人との会話。

友人「音楽作れるのはすごい。イラストは誰でもできる。紙とペンがあれば誰でも描ける」
私「音楽も一緒だよ。一番身近なのは歌。歌は誰でも歌える」
友人「でもオリジナルを作るのは誰にでもできなくない?」
私「イラストだってオリジナルを作るのは誰にもはできないよ。俺はドラえもんを描けって言われたら描けるけど、オリジナルを描けって言われたら描けない」
友人「描けるけどなぁ・・・」
私「描けないよ・・・描けないから俺はあなたに依頼してるわけで、そこに価値があるわけだよね」
友人「確かに・・・」

とまぁ、振り返ってみるととても偉そうなことを言っている私。。。

彼が言いたいのは「曲を作るのはイラストに比べて敷居が高いからそれができるのはすごい」ってことだとは理解しています!

それをわかったうえで、「何に凄さを、価値を感じるか」って、「何がその人にとっての当たり前の日常か」によるのかもと思いました。

私は子どものころから音楽が好きで慣れ親しんできました。家では母のピアノ伴奏に合わせて歌ってたし、学校ではリコーダーで好きな音楽の耳コピをしてたし、たまに変な鼻歌を作って友達の前で歌ったりしてました。

そういう意味では、音楽は私にとっての日常の一部です。だから曲を作ることも自分にとってはとても自然なことです。

逆に、絵を描くことは私にとって特殊能力です。絵を描くときは普段使わない脳みそを使ってる感じがします。表現する技術もありませんし、そもそも「何を描きたいか」を思い浮かべることができません。
私が友人のようなイラストレーターに依頼する理由は、私と違って彼らにはそれができるからです。

私が友人のようなプロのイラストレーターに依頼する理由は、私にはそれができないからです。

友人との会話で感じたのは、自分にとって当たり前のことが他人にとっては特別なことだということです。私にとって音楽を作ることは日常の一部であり、特別なことではありませんが、友人はそこに凄さを感じました。

逆に友人にとってはイラストを描くことが日常であり、特別なことではないかもしれません。でも、私はイラストを描けることに凄さを感じます。

結局、何が「すごい」と感じるかは人それぞれだなぁと思いました。自分にとって当たり前のことが他人にとっては特別だし、その逆もまた然りです。だからこそ、自分のスキルはちゃんと誇って良いし、今まで以上に相手のスキルには尊敬の念を持とうと思いました。

こういう気付きがあるから、人と話すのはやっぱり良いね!
ありがとう友人!

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